第2章 ビジネス・スタートアップの必要条件







 日本語で「起業」を直訳した意味でのBusiness Startup(ビジネス・スタートアップ)に成功するために絶対に必要な条件とは何でしょうか? ビジネス・スタートアップに必要なこととは、

「客がいるか? 客がいるか? 客がいるか?」

まずは、これだけです。

 新たに何かのビジネスを開始するとき、つまりビジネスをスタートアップするために「絶対に必要なこと」とは、まず何をおいても「客がいること」です。それがなければ、全くビジネスですらありません。ビジネスは「客がいる」ことで成立し、客が全くいなくなったら破綻します。

 ビジネスのスタートアップが成功するためには、客がいななければいけないので、アメリカの起業家教育では、先に述べたような「ビジネスアイデアの発表」や「フィージビリティ(実行可能性)のチェック」ということを最初に、重点的に行うことになります。

 逆にいえば、もうすでに顧客がいて、フィージビリティが確認できているのであれば、「ビジネス・スタートアップ研修」というのは受講する必要もないので、あとは実際にそのビジネスをスタートさせればよいだけの話になります。

 アメリカでは、日本より切実な起業ニーズというのがあるということは書きましたが、アメリカ人でも

「よし、起業しよう!!」

と思い立ち、実際に始めていこうと思って、その前に「ビジネス・スタートアップ研修」に参加する人でも、起業をするアイデアとして、

・自分ができること
・自分がやりたいこと

などが先に立って情熱がみなぎってしまい、ビジネスを始めるための最低限の必要条件である「客がいるか?」ということについて、全く考えていないということが多いようです。そのため、より切実な起業ニーズがあるアメリカの起業家研修においては、最も大事な部分を最初に確認して進めるということになります。

 日本でもサラリーマンから独立して仕事をするというような場合に、長年勤めていた会社から仕事がもらえることが前提であるときには、「お客さん=以前勤めていた会社」
が成立しますので、その意味では容易に「ビジネス・スタートアップ」が成功します。

 マスコミ等でよく問題視される、高級官僚の天下り外郭団体などは、こういう図式でビジネス・スタートアップには成功します。もちろん、Entrepreneurial Studyでは、こういった関係性だけでビジネスを成立させるのは基本的には推奨していませんが、それでも全く顧客がいないにもかかわらず起業に突き進むよりかは、よほど賢明な選択をして、ビジネスをスタートさせているということになります。

繰り返しますが、ビジネスを始めるのに必要なのは、まずは何をおいても「客がいるか?」です。

ビジネス・スタートアップが成立するための必要条件は「客がいること」です。それ以外のこと、たとえば、

「学歴」、「資格(知識)」、「華々しい経歴」「人脈」「お金」

などは、基本的には「あったほうがよいもの」ということになるでしょう。これらの「あったほうがよいもの」がいま、全くない人であったとしても、顧客さえいればビジネスはスタートできます。たとえば、
 「高校中退(中卒)、資格なし、商売経験なし、身寄りもなし、貯金も全くない」という女性がいたとします。その女性に対して、「ただ会って話すだけ」という行為に対して、何らかの価値を見出し、継続的にお金を払う人が何名もいる場合には、それでビジネス・スタートアップは成功します。

 逆に「あったほうがよいもの」をたくさん持ち合わせている人、たとえば
「東大卒業、司法試験合格・弁護士資格あり、学生時代の同級生等友人多数、貯金額大」という人がいたとして、その人の行っていることに全く顧客が付いていなければビジネスですらないということになります。

 最近、スモールビジネス向けのコンサルタントなどがよく使う言葉にUSP(Unique Selling Proposition)というものがあります。これは、日本語で簡単にいえば「独自性をアピールできる点」というような意味です。そして、それらのコンサルタントがセミナーなどで「中小企業はUSPがなければならない」というようなことを言っているのを頻繁に耳にするようになっています。しかし、これもビジネス・スタートアップという観点から行くと、単に「あったほうがよいもの」にすぎません。

 お客さんがあなたから何か商品やサービスを購入するとき、そのお客さんは、
「あなたから買いたいとおもって、買うと決めたから買う」
だけです。この「買うと決める」という前の段階で、あなたに独自性があるかどうかを考えることはない場合もあるでしょうし、あなたに独自性があることは分かったとしても買わない場合もあるでしょう。

 つまり、お客さんは、理屈で物を買っているわけではなく、むしろ個々人の判断基準に基づいて、最終的には情緒的な感情によって購入を決定して実行に移しているということになります。

 このように、ビジネスを始めるのに、本質的には「客がいるか」が必要かつ十分な条件であって、「知識があるかどうか」は、成功の一要因でしかありません。だからこそ、アメリカの起業家研修では、日本のセミナーや研修などでよく行われる知識を詰め込むためだけの座学などではなく、より実践的な「顧客がいるか?」ということを重視し、その確認作業を行っていくことになります。

 ある人が「起業をする(ビジネス・スタートアップする)」とき、その動機や環境は様々です。最近では、日本でも「企業の倒産」や「人員削減を伴うリストラ」などが頻繁に行われているので、ある人は「何らかの形で生活の糧を得ていかなければならなくなった」という切実な必要性に迫られて起業を考える人も多いでしょう。そうではなく、現在は安定している大企業に在籍していて、「現状のままでも生活していけるけれども、自己実現のために起業をしたい」、というような場合もあるでしょう。

 特に後者のような、「今すぐ起業をしなければならない状況」ではないのに、その状態から「起業する」という選択をするような場合に、先に述べた

「客がいるか?客がいるか?客がいるか?」

という検証がないまま、起業に踏み込み、結果として失敗してしまうことは、日米を問わず多いようです。なぜならその起業の動機が

「現状の会社への不満(人間関係・待遇や評価への不満)」
「現状以外の場所への過大な期待」

というようなネガティブな動機である場合が多く、次の段階に進むための計画性や実行可能性の検証がきわめて甘いということが起こりやすいためです。

 差し迫った「起業」の必要性がないのに起業を志す場合に、その起業希望者が口にする動機として
「自分で、(誰もやったことないような)新しくて、大きなビジネスで起業したい」
という理想が語られることがあります。しかし、これは多くの場合、自殺行為です。

 先に述べたとおり、「自分でビジネスを始める(ビジネス・スタートアップ)」のは、「顧客さえいれば」何とか始めることができます。しかし、「(誰もやったことがないような)新しいビジネス」というのは、往々にして「客がいない」という可能性が高く、ビジネスとして成立しないケースもあります。また、「大きなビジネス」というのは、スタートアップの段階ではとくに金銭的なリスクが非常に大きいものだからです。

 日本語で「起業」といった場合に、大成功した「起業家」がメディア等で大きく取り上げられることが多いため、「自分で新しい大きなビジネスを始めること」というイメージがあることも多いですが、実際には分けて考えられるべきでしょう。

 「大きなこと」をやりたいのであれば、大企業に所属したほうが大事業により安全にかかわることができるでしょう。また、「新しいこと」をやりたいのであれば、既存事業の収益性が高く、研究開発や新規事業開発への予算投下を積極的に行っている企業に入ったほうがそれにかかわる可能性が高いのです。

 「起業する(ビジネスをスタートする)」ということは、全く「新しい」必要もなく、「大きいこと」である必要もありません。目の前にお客さんがいて、そのお客さんに対して、継続的に商品やサービスを提供していくことができる状態になれば、それは立派な起業(ビジネス・スタートアップ)といえます。

最近は日本でも「起業」という言葉がよく使われるようになっていますが、そのとき意味として、「新規事業」「新規市場創出」をさしていることが多くあります。特に、大企業のサラリーマンの方などが「起業」という場合に、こういった意味であることが多いようです。言葉の使い方が、どちらが正しいというわけではありませんが、英語での単なる ”Business Startup” というような場合と「新規事業」「新規市場創出」というような場合とでは、共通する部分も多いものの、違う点も多くあります。

まず、共通点として、単なる”Business Start up” の「起業」でも、「新規事業」の「起業」でも、どちらでも「事業」や「ビジネス」が成立するために絶対に確認しなければならないことは

「客がいるか? 客がいるか? 客がいるか?」

です。これが絶対に必要なことです。だからこそ、どちらの「起業」においても、この

「客がいるか?客がいるか?客がいるか?」

についてのフィージビリティのチェックを行う必要があるのです。

 リストラや環境の変化によって何か「事業を始めなければならい」という起業ニーズが極めて切実な場合には、「既存市場」に「新規参入」したほうが、取り急ぎの事業をまわすということには成功しやすくなります。ただし、参入した市場はすでに存在している市場ですので、供給者側と消費者側との関係がすでに出来上がっている場合が多いので、すでに存在している他者ではなく、「なぜ自分(達)から買いたいと思うか」というところの分析は徹底的になされた上で行っていくべきものです。

 逆に、全くの新規事業の場合には、市場の中でその商品・サービスを買ったことがない人たちが多いため、まず「その商品・サービスにお金を払うか?」ということについてから考え始めなければなりません。そして、もしその商品・サービスにお金を払おうとする人が全くいなかったら、成立しません。米国でも、「まるっきり新しいアイデア」をよく思いつく人がよく言うこととして「ライバルがいない」というのがあるようです。しかし、「ライバルがいない」ということは、「実は客が全くいない」ビジネスである可能性が高いのです。

 新規市場を創出しようとする場合に調査する内容として、「面白いと思うか?」という項目が入ってくることがあります。仮にその調査項目に関しての「お客さんと想定される人たち」の反応が極めて良好なものであったとしても、それがビジネスとしてつながるとは限りません。なぜなら、人が「面白い」と思うことと、「お金を出して買う」ということにはそれほど強い関連性がないからです。「面白い、と思うけれども自分はお金を出してまでは買わない」というケースは、どんな業界においても非常に多いのです。

 起業家というのは新しいことを起こしていくことも求められますが、それ以前に「事業を成立させ続けること」が絶対条件として必要なことです。そのため、ビジネスをスタートさせる段階では、そのあたりの判断は適切に行っていく必要があるのです。

 誰かが「起業」を考えるとき、特にこれまでサラリーマンで高度な技術系専門職についていた人などが独立してビジネスを始める際、よく失敗してしまうケースとしては、

「これまで自分がやってきたこと」

だけをベースに考えてしまうことがあります。たとえば、これまで大企業で長年優秀なプログラマーとしてやってきて、それと全く同様の仕事を独立してやっていくというようなケースなどです。

 日本の大企業などでは、その役割がかなり細分化・専門化されているので、そこでの仕事も、ある限られた分野に非常に複雑な内容となっていたります。そのため、そういったところで長年やっていた人たちが、いきなり独立して生活していこうとする(生活していかなければならなくなった)場合に、これまでやってきたことから頭を切り替えることが難しいことが多いようです。

 しかし、特に技術的な専門性が高い分野での仕事を行っている場合には、その分野で起業しようとすると、起業をするための必要条件である「客がいるか? 客がいるか? 客がいるか?」という検証作業を行っていくと、結局「客がいない」という結論になってしまうことが起こってしまいます。今現在、高度な技術的な専門職としてある大企業で働いている人が、今現在行っているような仕事をもっとも高く買ってくれるのは、結局今働いている大企業だということの可能性が一番高いのです。

 「起業する」上で、もっとも大事なことは、何度も言うように「客がいること」です。「客がいない」場合には、ビジネスが成立しないのです。そのため、「起業」の段階では、自分が「これまでやってきたこと」ではなくて、まず「売れること」に着目して、ビジネスをはじめて構築していく必要があります。

 アメリカでも、IT関係の専門性の高い職能を持った(持っていた)人が、ITバブルの崩壊以後その分野で起業しようとしても、結局顧客から価値を見出してもらえるような商品・サービスを作り出すことができずに廃業してしまう、というようなことは多く起こっているようです。

 このことは「これまでやってきたこと」ではなく、自分に「やりたいこと」があって起業する場合でも同じことです。起業する際に、自分の「やりたいこと」に夢中になって計画を進めても、もしそれを「買ってくれる人」がいなければ、結局のところ事業としては成立しなくなってしまいます。「やりたいこと」が先にたって起業をするようなとき、自分も周囲の人も「面白い」という確証を得ている場合もあるでしょう。しかし、新規事業のところでも説明をしたとおり、人が「面白い」と感じることと、「お金を払って買う」ということは、必ずしも連動はしません。むしろ、あまり相関関係は高くないと言ってしまってもよいかもしれません。

このように、起業というのは、「これまでやってきたこと」でも「やりたいこと」でもなく、まず「売れること」「顧客がお金を払うもの」でなくてはならないのです。

 ビジネスを始める前に絶対に必要なことは、何をおいても検証しなければならないのは、

「客がいるか?客がいるか?客がいるか?」

です。それでは「客がいる」「売れやすい」ビジネスとはどのようなビジネスでしょうか?最も望ましいのは、

「必要(necessary)」かつ「緊急(emergent)」かつ「痛み (pain) を伴う」

ビジネスです。そして、こういった「必要で、緊急で、痛みを伴う」ビジネスは、多くの場合「既存市場」が存在して、既存参入者がいます。なぜなら、必要なものが存在しないと、市場の人が困ってしまうからです。

 簡単な例をあげると、トイレの水漏れ、病気・介護、車の故障などに対応するサービスなどです。また、男性からすると、あまり「必要でも、緊急でも、痛みを伴うものでもない」ように見える女性向けのダイエット関連の市場というのも、女性の感覚からすると「必要で、緊急で、痛みを伴う」ビジネスです。子供を持つ親御さんかいる場合には、「絶対に学期末の試験で成績を上げなければならない」という需要がある場合の学習塾などもこの類です。要は厳密な意味で「必要で、緊急で、痛みを伴う」ということではなく、そう感じる人が多い市場が「客がいる」「売れやすい」ビジネスです。

 当然こういった市場は既存市場なので、すでに参入している人も多くいて、競争も激しいビジネスであるケースも多いものですが、それでもビジネスのスタートアップに絶対に必要な「客がいる」ということが明らかな市場なわけですから、うまく入り込むことができた場合には、継続的な売上が期待できることになります。

 「必要」「緊急」「痛みを伴う」ビジネスは、その性質上、既存市場であることが多いのですが、あるタイミングで急にこういう市場が出来上がることがあります。「法律で何かが義務化されるような場合」などがそれにあたります。日本では米国などよりも法律が過保護でいろんな規制が多い国ではありますので、こういったタイミングも起業には良いタイミングといえるかも知れません。(ただし、こういった法律の多くは、既存の大手企業や官公需依存の企業、省庁の外郭団体、天下り法人などに有利な仕事を作るための政策として作られることも多いため、参入が制限されていることも多いのですが。)

 逆に、「誰もやったことのない全く新しいこと」や「やりたいこと」、「面白いこと」では、ビジネスのスタートアップに失敗しやすいものです。なぜなら、こういったビジネスは、簡単にいえば「必要」でも、「緊急」でも、「痛み」もないビジネスのため、「客がいない」、「客が見つかりにくい」「見込み客が見つかっても買わない」ビジネスである可能性がたかいのです。

 また、「既存市場で参入しやすい」けれども、「必要でも、緊急でも、痛みを伴うものでもないビジネス(タクシーや歓楽街など)」というのもあります。こういったビジネスは、景気に左右されやすかったり(必要ではないので不況で需要がなくなる)、競争が激しかったりするので、仮にビジネスが立ち上がってもリスクを認識しておく必要があります。

 ある人が、ものすごくよいビジネスアイデアを思いつき、それを実行しようとするとき、何度も言うように、それを本当にビジネスとして成立させるためには、絶対に「顧客いること」が必要です。思いついたアイデアが、衣食住にかかわるような「人間社会で絶対に必要なこと」と思われるような事柄であったとしても、日本国内の日本人の顧客を対象にするのであれば、対象顧客は日本国民以下の数になるはずです。しかし、ビジネスのスタートアップに限らず、どんな大企業が行っているビジネスであっても、その対象となる顧客群は、「日本国民全体」という抽象的な母集団にはなりません。

 飲食店を始めるのであれば、「日本国内に住んでいる人」からかなり絞り込まれて、「その近辺に在住または勤務する人」かつ「外食をする人」というようなところ以下に限定されていくことになります。最近はネットで通信販売などもできるようになっているので、それでビジネスをしようという人も増えていますが、ネットという膨大な可能性がある市場でビジネスをするにしても、日本国民全体から「ネットで商品・サービスを購入する人」という絞り込みがなされ、その中でさらに「自分のホームページにたどりつく人」という人がいて、ようやく「購入する」という決断・行動を得ることで顧客を獲得できることになります。

 自分のアイデアがいかに汎用的ですばらしいものであったとしても、起業をしたときに自分のお客さんとなってもらえるのは、具体的な一人(一社)の積み重ねでしかありません。ビジネスをスタートした直後というのは、ほとんどの場合、一般的に言われる経営資源としての「ひと、かね、もの」のすべてが極めて限定されている状況です。その対象を広げてビジネスを行うのは、たいていの場合は自殺行為で、待っているのはナイトメア(Nightmare =悪夢)です。そのため、スタートアップ直後の戦略としては、最も適切な顧客に対して集中的に告知をだし、効率的に顧客を獲得していく、ということが必要になります。

 対象の顧客を「全世界人口」「日本国民全体」というような漠然としたところから、自分にとって適切な規模、水準まで絞り込んでいくための基準にはたとえば次のようなものがあります。

・商圏の制限(展開する地域、人口)
・流通の制限(配送地域、配送日数、)
・告知手段、予算
・人的リソース など

 これらの、現在自分がビジネスを行う上での制約をいろいろと考慮した上で、自分が獲得できる、具体的な顧客像を適切に絞り込んでいき、そこに対して自分がアイデアとして持っている商品、サービスを提供していくことになります。

 ビジネスをスタートさせる前には、できるだけ具体的な顧客像をイメージしておいたほうがよいのですが、いくら具体的に顧客をイメージし続けたところで、本当に顧客となってもらえるかというのは実際にやってみないと分からないものです。

 事前調査の段階で、対象と思われる顧客のアンケートの結果がどれほど良好なものであったとしても、実際に「お金を出す」という行為が伴うときには、その実際の行動は極めてシビアなものになります。

 日米を問わず、大学・大学院教育などの高度な知的教育を受けた人たちが起業家研修を受けるような場合には「マーケットリサーチの手法」「マーケティングの理論」などを深く掘り下げて勉強し、用意されたワークシートに文字を埋め尽くす、ということを好む傾向があるようです。しかし、実際のビジネスでは、いくらワークシートにたくさんの文字を埋め込んだからといってうまくいくものでもありませんので、本当にビジネスが回っていくかどうかについては、机上で考えすぎるよりも先に「とにかくやってみる」ということで検証していくことを推奨していくことになります。

 この「本当に客がいるか?」を検証するために、「とにかくやってみる」とき、ポイントとなる点があります。それは、「リスクを取りすぎない」ということです。野心にあふれた人が、ビジネスアイデアを思いつき「起業をしよう!!」として実行に移すときには、往々にして自分のアイデアややる気に満ちているので、どうしても「すべてがうまくいく」ことを前提にいろいろなことを進めてしまいがちなのですが、特に初期の段階では「顧客がどのような行動をとるか」、ということについてのデータが全くない状況ですので、「派手な宣伝」や「過剰な設備投資」「最初から在庫を抱え込む」などのリスクは極力減らしたほうがよいでしょう。もし、起業のアイデアが、「商品在庫やサービスが全くない状況で集客だけ行ってみる」ということができるのであれば、それがベストです。

 全く事業経験がなく新たにビジネスをスタートさせるにしても、現在行っているビジネスの状況が悪くなって新規事業を行う場合でも、過剰なリスクを背負って「これに賭ける」というような場合には、往々にして失敗する確率が高くなります。

 起業家というのは、その役割として「事業を回し続ける」というのが最低条件です。そして、「事業が回り続ける」ということは「顧客が存在し続ける」かつ「資金が枯渇しない」ということとほぼ同義です。そのため、「とれるリスクを見極めながら」「顧客に対しての適切な行動をする」ことが起業する際には重要なことになります。

 もし、商品在庫やサービスがない状況でも、自分のアイデアを基に集客テストを行ってみたとき、顧客からの反応がどんどんあるような場合には、それは相当に有望なビジネスです。もし、小さい規模でやってみて、すぐに顧客が得られることが分かった場合には、ビジネスにはタイミングも重要ですので、そのビジネスはすぐに実行に移すべきです。逆にうまくいかなかった場合には、実際のデータを蓄え、次の展開のための参考にしていくことになります。

 通常、ある人がビジネスをスタートする際には、「ヒト、カネ、モノ」などすべてのリソースが少ないため、集中すべき優先順位を決めなければなりません。起業家はいつの時も勤勉(Diligent)でなければなりませんが、効果的に顧客を獲得していくためには、顧客にその存在に気づいてもらうために、まずプレゼンス(Presence=存在感)を上げることが極めて重要です。

 顧客は通常はスタートアップ直後の会社の存在など、全く知りません。その知らない会社から商品やサービスを買ってもらうためには、まずその存在自体を知ってもらうということが必要です。素晴らしいビジネスアイデアがあり、誠実できわめて勤勉な人がビジネスをスタートして、提供している商品やサービスのレベルが非常に高いものであったとしても、顧客がその存在に気づくことがなければ、結局ビジネスが成立しないまま終わってしまいます。

 顧客が少ない段階で、起業家がまず優先すべきは、「プレゼンスを上げる」ことになります。とにかく、どんな顧客でもまず「その存在に気がついてもらう」ことが必要なので、その手段をさまざまに考えていくことになります。

 自分が提供している商品・サービスの対象となる顧客に、自分の存在を認知してもらうための方法は、提供する商品やサービスの特性によって、それに適した媒体や方法というのは様々に違います。日本でも中小企業向けの「集客セミナー」などで、その時々にうまくいっている方法等が紹介されている場合もあるので、そういったものを参考にするのがよいでしょう。

 ただ、自分が提供している商品・サービスの対象となる顧客が、起業直後の自分の存在に気がついたとしても、それだけで顧客が買ってくれるわけではありません。あなたの存在に気がついた顧客にとって、あなたの商品・サービスが「購入するだけのメリットがある」ということが伝わららなければ、購入にまで至らないのです。このことは、既存市場ではなく新規市場を切り開いていこうとするような場合には特に重要になります。

 誰がみても何を提供しているかがわかるような既存市場、たとえば飲食店や塾などのようなものであれば、その存在に気がついてもらいさえすれば「何をやっているか?」ということを説明する必要はありません。しかし、高度に専門的なことや新規市場を切り開いていこうとする場合に、その商品やサービスが一体何なのかが全く分からない場合には、結局のところ顧客を逃してしまうのです。専門的な知識を持っている人が起業しようとする場合に、この点が全く考えられていないということは非常に多くなるようです。自分の存在に気がついてくれた顧客が、自分が何を提供しているのかが分からない場合、悪いのはそれを伝わるような準備をしていない自分自身なのです。

 繰り返しになりますが、起業直後に優先すべきなのは、まず「プレゼンスをあげること」であり、顧客に気づいてもらった時に自分の提供している商品・サービスが「伝わること」なのです。これが上手な人は何をやってもビジネスのスタートには成功しやすくなります。

 ビジネス・スタートアップ時点で、その起業のための手段は人それぞれで、業種、商品・サービス等は様々です。ですので、その起業の内容によって、顧客を獲得していくためにプレゼンスを上げるために適した手法というのも、それぞれによって違ってくるのですが、一般的な手法としてはたとえば次のようなものがあります。

・看板・口コミ
・チラシ・ダイレクトメール(DM)・FAXDM
・電話営業、テレアポ(Telephone Appointment)
・マスメディア(テレビ・ラジオ・新聞・CS放送・ケーブルテレビ など)
・ネット(検索エンジン対策・メールDM、バナー広告、リスティングなど)
・直接訪問・名刺交換

 特に起業直後の起業においては、先ほども述べたとおり、まず「プレゼンスを上げる」ためにこれらの手段で適正なコストで告知を出すと同時に、それらの手段を用いてお客さんに辿りついたときに「いかに分かりやすく伝えるか?」ということが大事になります。

 日本国内でも、これらそれぞれについて、中小企業向けのサービスを行っている会社や、コンサルティングサービスを提供している会社は多数あり、特に不況期においてはこういった分野のセミナーは非常に盛況になっているようです。

 米国と比べて、日本国内で多く行われる告知方法としては、チラシやダイレクトメールを利用した手段や、名刺を利用した手段が多いようです。特に、名刺などに関してはふたつ折りの名刺などをもちいて自分をアピールするという人も多くなっています。

 アメリカの場合には、市内電話料金が無料ということもあってか、日本より電話営業やテレアポ等の比率が高いようです。最近では、営業電話をかけてきた側が、いきなり自動音声で営業トークを始める、というよう手法を利用していることがあるようです。(こういった手法はアメリカでも問題にはなっているようです)当然、最近では日米を問わず、ネットによる告知手法も多くの人が研究しサービスを行っています。

 いずれにしても、起業家は

「できるだけコストをかけずに、自分のプレゼンスを上げ、わかりやすく伝える」

ための手段を持とうとすることを懸命に考えるべきです。ここに書いたようなことは、国によってコミュニケーションの違いがあるものの、日本でもアメリカでも同様に行われています。しかし、米国の起業家研修では必ずやっていて起業する人であれば常識的に知っていてやっているにも関わらず、日本の起業家研修ではほとんど行われず、ほとんど認知すらされていないことがあります。

それが「エレベーターピッチ」です。

 アメリカでの起業家向けの研修では、有名大学のMBAのEntrepreneurial Study であろうと、民間のコンサルティング会社のビジネススタートアップセミナーであろうと、絶対に行うことがあります。それは、「エレベーターピッチ」と呼ばれるものです。

 「エレベーターピッチ」とは、エレベーターの中である初対面の人と会ったとき、エレベーターに入ってから目的の階にたどりつくまでの間のわずかな時間(数十秒から1分以内)に、自分のやっていることを過不足なく説明し尽くすためのプレゼンテーションのことです。

 アメリカの大企業の社員教育などでも、非常に忙しい上司に自分の企画をエレベーターの中で過不足なく説明するためにこういう技術をみにつけることをプログラムに入れていることもありますが、目的がより切実なため、使用される頻度としては起業家のコミュニティの中のほうが多いようです。

 いずれにしても、アメリカのビジネスの世界では非常に常識的に知られる言葉です。
「エレベーターの中で初対面の人と話すなんてありえないよ」
と日本人の方であれば、考えてしまいますが、アメリカではそれほど珍しくもなくどちらかといえばよくあることだといってもよいでしょう。

 当然、「エレベーターピッチ」だからといって、エレベーターの中だけでプレゼンを行うわけではなく、起業家のコミュニティで行われるパーティで初対面の人にビジネスを説明したり、そのほかどこか偶然に初対面の人と話すときに「自分が何をやっているか」を説明したりする際に利用することができます。日本人よりも活発に双方向のコミュニケーションの行われる社会においては、この「エレベーターピッチ」は必須のスキルであるといして受け入れられています。

 一方、日本ではこのエレベーターピッチが起業家研修で「絶対に必要なスキル」として採用されていることはほとんどありません。日本国内の起業家研修でこの「エレベーターピッチ」をやらない理由というのはおそらく以下のような理由があるのでしょう。

・日本人はそもそもエレベーターの中では話はしないので実用性がないと判断される
・研修でインタラクティブなトレーニングをやっても盛り上がらない、酷評される
・学生時代からの教育で、相手への説明はできるだけ丁寧なことがよいと考えている
・初対面の人とのコミュニケーションツールの名刺の手法がかなり発達している

 しかし、これらの理由は、起業家が「エレベーターピッチ」を考えて、いつでもできる状態にしておくことに関しての本質的な部分での理解が不足していることによって起こることといえるでしょう。

 アメリカの起業家研修においては、起業する人は「エレベーターピッチ」は絶対に「用意しなければならない」と位置付けられています。

 これまでも説明したとおり、ビジネスをスタートするにあたって絶対に必要なのは「顧客」です。そして、起業直後の起業家は通常「ヒト、カネ、モノ」のすべてが十分にない状態でビジネスをスタートさせることになります。そういった制限された環境の中で、できるだけ予算・コストをかけずに自分自身のプレゼンスを上げ、プレゼンスをあげた結果接触できた潜在顧客に対して、「わかりやすく伝わること」を用意しておかなければ、実際に購買してくれる顧客を獲得することはできないのです。

 「エレベーターピッチ」には、こういった要素のすべてが、含まれるといってよいでしょう。
 ある人が、これからは自分で何かをやっていくことを決め、「起業する」という選択をしたとします。そうであるならば、起業家たるもの「いついかなる時でも」自分が提供している商品・サービスについて、きわめてわかりやすく説明ができるようでなければなりません。また、チャンスというのは、いつどんなところに転がっているものかもわからないものです。突然目の前に訪れたチャンスは必ずつかむように心掛けなければなりません。そのために、「エレベーターピッチ」というのは必ず起業家の中に「常に用意されていなければならない」ものなのです。アメリカでエレベーターの中で見知らぬ人と話すことが多いから、直接的な営業の手段として作るわけではないのです。

 直接対面した人に対して自分のプレゼンスを上げるための手段として、日本でよく用いられる「名刺」も、非常に有用な手段とはいえます。しかし、たまたま名刺を切らしてしまっているケースもあるでしょう。そのようなときに、自分の中に「エレベーターピッチ」的なプレゼンテーションの用意をしているか、していないかというのは、そのタイミングで訪れたチャンスを生かせるかどうかにかかわってきてしまうのです。

 エレベーターピッチは、顧客向けだけに作るのではなく、顧客以外の様々な人に対して「今現在自分がほしいと思うもの」を適切に伝えるように用意しておくと、より効果的になります。起業直後には、ほとんどの場合、いろんなもの(モノ、カネ、ヒト)が不足しています。モノが不足しているのであれば、友人や仕入れ業者に対して「こういうものがほしい」というのを端的に説明ができるようにしておきます。カネが不足しているのであれば、「こういうビジネスをやっているので投資または融資してくれる人を探している」ことがということを用意します。ヒトを探しているのであれば、「こういう人材を探している」というのを用意しておくことになります。「ヒト、カネ、モノ」の中で、不足しているものに対してエレベーターピッチを作成するということは、今現在自分に何が足りないのかを確認するためにも非常に重要なことなのです。

 繰り返しになりますが、起業家にとって「エレベーターピッチ」というのは、「用意されていなければならないもの」なのです。

 ビジネスを新たにスタートする起業家にとって、「エレベーターピッチ」は「作らなければならないもの」です。そうであるならば、さっそく作ってみることにしましょう。

 といっても、今現在これを読んでいる人が、本当に起業するつもりがあるか、起業するためのアイデアがあるか、というところにもかなり差があると思いますので、少し厳しめの条件を設定して、その際にどのようなことを考え行動するか?ということについて、まず考えてみてください。

設定:
今現在、仕事がないうえに、住んでいる家やマンションなどが、急になにかの事故(火事や倒壊)なくなってしまったとします。お金も手持ちの数万円程度がある程度で、銀行預金等は紛失または盗難にあってしまっています。つまり、自分は今、ほぼ体ひとつの状態になってしまいました。自分以外の人たちは、通常の社会生活を営んでいます。この状態で、とにかくなんとかしなくてはならなくなりました。このとき、あなたはどのような行動をとるでしょうか?

 前節で少し厳しい条件を設定して、「どのように行動するでしょうか?」という質問を、さらりとしてみましたが、実はこの質問は、あなたが今起業して成功する可能性があるか、の極めて重要な質問です。

「自分が今、ほぼ体ひとつの状態になってしまった。」

という状態を想定してみてください、ということを言ったとき、そんな状況が起こることを、「考えようともしない」という人がいます。このような人の場合、どんなに学歴の知識がある人であったとしても、起業家として成功する可能性は、今の状態ではほとんど全くありません、ゼロです。

 これまでも何度も出てくる通り、多くの起業家は、起業の直後の段階では、「ヒト、カネ、モノ」など、起業をするのにあってほしい様々なリソースが不足している状態で、時々によって良いほうにも悪いほうに変わる状況の中で、それらを自分の判断・責任でなんとかしていくというメンタリティや行動が必要になります。たかだかセミナーで提示された「仮想の状態」で自分がどうするのか?ということを「考えようともしない」「そんなことはあり得ない」というような場合、その人は「起業して自分の頭で考えて何とかやっていく」ということには向いていないといえるでしょう。

 あるいは、考えようとする場合であったとしても、

「親兄弟、親せき、友達から助けてもらう」
「役所や政府に何とかしてもらう」

 というような、基本的に「他人にどうにかしてもらう」というようなことを真っ先に考えてしまう人もいるかもしれません。自分の目の前からいろんなものがなくなってしまった状態で、とりあえず生き残るための合法的な方法を考えるというのであれば、「何も考えようとしない」より随分ましです。

 現実の社会でこのような状態(いろんなものが急になくなってしまった状態)になってしまった場合に、思考がきわめてネガティブにはたらき、現状が受け入れることができなくなってしまって、「自殺する」であるとか、「詐欺行為などの犯罪行為を行う」というような方向にすすんでしまう人も、実は案外たくさんいます。

 ある人がビジネスをスタートして、「アントレプレナー」として成功していくための最初のメンタリティとは、
「何もない状態であったとしても、自分で考え、その状態を何とかしようとする」
ということです。これは極めて重要な態度となります。

 前節の質問の状態では、これまでどこかに雇用されていた人の場合には、生活の糧を得ていくために、どこかに「雇ってくれる人や会社を探す」という行動に移る人が多いかもしれません。特に日本人にはこういう人が多いでしょう。もちろん、そういった行動も間違った行動では全くありません。しかし、これからの世の中においては、これまで安定的な優良企業とおもわれていた会社が突如傾いてしまって、また野に放り出される、ということもあり得ない話ではないことを昨今の不景気なニュースなどを見るにつけ、実感している人も多いでしょう。できうるならば、自分で事業を起こし軌道に乗せる、ということも選択として考えたほうがよい、といえます。

 「ほぼ体ひとつの状態」になってしまったときに、「雇用主を探す」のではなく、手に職がある人であるならば、その職能を生かして一人でもやっていくことを考えるかもしれません。自分自身に直接的に収益が得られる技能がなかったとしても、事業癖がついている人であれば、その状態から「自分の売れるもの・サービス」を考え、「仕入れ先を探し」、とにかく商売をすることを考える場合もあるでしょう。何か物を仕入れたり、人を雇ったりするのに当座のお金の必要がある場合には、銀行や投資家にその事業の内容を説明することを考えて、さっそく行動に移す人もいるでしょう。

 つまり、「ほぼ自分のからだひとつの状態」という同じような状況が与えられたとしても、どこかに「雇われてやっていこうとする人」と「起業の道へ向かおうとする人」の違いというのは、その考え方や行動の方向性で決まるのです。

 ですので、今現在サラリーマンとして生活していて、まだ「起業したいなぁ」という程度の状態であったとしても、とにかく、どんな商品・サービスで起業し、どのようにプレゼンテーションを行うかということは、できるだけ具体的に考えるようにすべきでしょう。

 事業を始めたばかりの「ヒト、カネ、モノ」が制限されている状態の起業家は必ずエレベーターピッチをいつも自分の中に考え、チャンスの可能性があるときには、いつでもそれを披露できる状態にしておかなくてはならないのですが、それでは、エレベーターピッチに入れるべき事柄とはどのようなものでしょうか?

たとえば、顧客向け場合、次のような事柄になります。
 
「私は誰?(Who am I?)」
「どんな商品・サービスを提供しているのか?(What am I doing?)」
「なぜあなたに提供するのか?あなたにどんなメリットがあるのか?(Why you?)」
「なぜ私がそれを提供するのか?なぜ私から買うとよいのか? (Why me?)」
「なぜ今なのか?どうして今それが必要なのか?(Why Now?)」
「連絡先、コンタクト方法」

といったものです。数十秒から一分以内という非常に短い時間でお客さんの心を「つかむ(Catch)」、ためには、このくらいの内容を極めてコンパクトにまとめる必要があります。これらは入れたほうがよい内容であって、絶対に入れなければならない内容ではありません。重要なことは、

「相手に伝わること」

これがもっとも大事な要件となります。もし、「ここに書いてあるようなことの一部が要らない」「これ以外のことをたくさんいれたい」、というような場合にも、それが確実に「相手に伝わること」ことである限りはどのようにアレンジしてもよいものです。

 自分の商品やアイデアを売りたいと真剣になっている人は、とにかく「自分の伝えたいこと」のすべてを入れて、懸命に話したりすることが多いものです。しかし、「必ず、長時間をかけて説明しなければならないようなアイデア」、というのは、大抵の場合、あまりよいアイデアではありません。

 エレベーターピッチで「数十秒から一分以内」というと極めて短い時間に聞こえるかもしれません。しかし、実は案外長いです。自分の関心のない教育番組を、30秒間ずっと動かずに見てみる、というようなことを試してみたら、「つまらない話を30秒も聞かされる人のつらさ」が分かるはずです。

本当によくまとまった優れたアイデアというのは、極めて分かりやすく、短い時間の説明でも相手には伝わるものです。そのため、最長1分程度で伝わらないようなアイデアの場合には、そのアイデアは練りなおしたほうがよいでしょう。

エレベーターピッチの構想がある程度まとまったら、それをその対象の人に属性が似ている身近な人たちにやってみるということをおすすめします。自分のことをすでに知っている人に対して行ったものプレゼンですら、あまり良好な反応が得られない場合には、それは考え直すべきといえるでしょう。

 「エレベーターピッチ」が日本の国内での起業家研修ではほとんど行われない、という背景には、日本人がそもそも

「見知らぬ人とエレベーターの中で話すことなどありえない」
「交流パーティなどで初対面の人とそれほど親しく話すことがない」

等といったことが考えられます。

 それでも、起業家は顧客もいない状況から、(元々は他人である)新規顧客を効果的に獲得していかなければ事業にならないわけですから、そういったトレーニングはやはり行っておいたほうがよいでしょう。

 筆者は、日本人の場合には、コンパクトに事業アイデアを説明する母集団として
「同窓会で何の気なしに何年もあっていなかった人に話す」
ということを想定してみることを推奨しています。

 日本人は、全然知らない人や外国人のような「よそ者」に対しては極めて警戒した冷淡な態度をとる人であったとしても、相手が「同窓生」であったり、もっとざっくりと「同郷人」であったりするだけで心を許し、いろんなことを話せるようになる場合が多いものです。

 そのため、そういう人たちに対して、「エレベーターピッチ」ならぬ「同窓会ピッチ」のようなものを行った場合に、それが何らかの形で通用するか?ということを確認してみるとそのプレゼンテーションが、どれほど完成度が高いかということが確認できるでしょう。

一般的には、同窓会では「基本的には他人」ではあるものの、自分に対しての相手の心理的なハードルが低く、多少プレゼンの内容が長くても許容されるという、プレゼンのトライアルとしては、かなり理想的な状況であるということはいえるでしょう。こういった人たちを相手にして、プレゼンテーション等を行ってみた場合でも、全く手ごたえがないような場合には、それはビジネスアイデアのブラッシュアップ(磨き上げ)が足りないと判断されます。

 また、同窓会に出席している人に対してプレゼンを推奨するのには、もう一つ理由があります。それは、自分が行おうとしているビジネスが、「まっとうなビジネスか?」ということを内省することができるからです。通常、同窓会というのは「何年かに一回」というように定期的に行われているものです。同窓生にそのビジネスの話をした時に、「次の同窓会にも堂々と出ていけるか?」ということは、行うビジネスの最低限のモラルの有無にも関わるからです。昨今の副業ブームや拝金主義的な風潮によって、「新しいビジネス」を始める際、その内容的に、同窓生に顔向けができないビジネスというのも非常に多くなっています。近視眼的な儲けのために、顧客を犠牲にするビジネスというのは、絶対に長続きしないビジネスです。良好な人間関係が長期的に維持できるビジネスかどうかということをスタートアップの時点から考えておくことは非常に重要なことなのです。

 アメリカ国内で起業家研修を受けて実際に起業する人にとっては、エレベーターピッチを作って、いつでもプレゼンテーションができるようにしておかなければならない、という考え方は非常に一般的になっているのですが、このエレベーターピッチにも新しい動きができつつあります。
それは、インターネット動画を利用したエレベーターピッチです。

アメリカのITを中心としたハイテクベンチャー関連の情報を提供している非常に有名なサイトに TechCrunch というサイトがあります。
(英語版 http://www.techcrunch.com/、日本語版 http://jp.techcrunch.com/) 
このサイトのサブドメインに、新進のビジネス・スタートアップからのエレベーターピッチの投稿を募っているサイトがあります。

Tech Crunch Elevator Pitches
http://pitches.techcrunch.com/

このサイトでは、スモールビジネスを行っている人が、自分のビジネスを1分以内のネット動画で発表する機会を提供されていて、それをあれこれと批評してもらうことができます。非常にたくさんのエレベーターピッチ型のプレゼンテーションが投稿されていて、ほとんどすべての動画が、ある1人の人の頭だけが撮影され、自分のビジネスアイデアを話しているだけ(トーキングヘッド)の動画になっています。英語の分かる人であれば、どのようなビジネスアイデアが高く評価され、どのようなプレゼンが酷評されるのかということも分かってきます。

アメリカでは、ベンチャー投資なども盛んに行われていますので、こういったことがきっかけで、新たな投資先を探している人が優れたビジネスアイデアを見つけて、それに対しての投資を行うというような話も、事例としては発生しているようです。

日本では、こういった形で起業家がビジネスアイデアを発表していたりすることは、米国と比べると非常に少ないようですが、それでも、ネット動画を使って起業家がプレゼンスをあげるということは非常に有用な手法になっていくことは間違いがないでしょう。

今現在、日本はインターネットのブロードバンドの普及率の点で行くと、アメリカなどとは比べ物にならないほど発達しており、しかも非常に動画好きです。Youtube を視聴している人の数では、日本人はアメリカ人についで二位になっており、そのほかの米国内の動画サイトも、日本で評判になってしまうと日本からのアクセスが殺到してしまい、インフラのコストの高いアメリカの回線ではパンクしてしまうため、「日本人対策として」アメリカ国外からのアクセスは制限されてしまっているほどです。また、Yahoo!やGoogleなどの検索エンジン対策としても、動画を利用することは非常に有利に働くとされています。

いずれにしても、より広い範囲の人々に対して「プレゼンスをあげる」ということが求められる起業家にとって、従来のウェブサイトに限らず、動画等を利用していくということは、極めて重要な要素となっていくでしょう。

 米国の起業家研修を行う際にはほぼ必ずエレベーターピッチを作り、インタラクティブに講師との対話を行うなどしながらその練り直しの作業が行われるのですが、多くの受講者が初期の段階で口にして注意されてしまう事柄があります。それは「安い(low price)」という言葉です。先に、エレベーターピッチに含むべき内容として、

「なぜあなたに提供するのか?あなたにどんな価値があるのか?(Why you?)」

というのを含むべき、ということを言いましたが、ここに多くの人は「安い」ということを入れてしまいがちで、それを注意されてしまいます。

 事業というのは、本質的に「お客さんに価値のあるものを提供し」、「正当な対価を得ながら利益を出していく」ことが継続のためには必要なことです。そして、「安くする」ということは、「利益を出しにくくする」ということです。そのため、エレベーターピッチという顧客に接する最初のタイミングから、「自分は安い」ということを簡単に言ってしまってはだめなのです。

日本語にはあまりそれに近い言葉がありませんが、英語には
「リーズナブル(reasonable)」
という言葉があります。

日本語でも外来語としてこの言葉は時々使われますが、実は本来的な意味を理解している人の割合はあまり多くないかもしれません。reasonable とは「reason + able」ですので、本来は「理由が説明できる」「合理的な」というような意味です。(日本語のビジネスの現場でよくつかわれる言葉としては、「ワケあり」に近い意味の言葉です。)事業を行う上で価格は常にリーズナブルでなければならないのです。

 価格というのは、一番簡単にいじることができる最もわかりやすいものなので、「安くする」ということで顧客を獲得していきたいという心理が働くものですが、自分から「安い」といったとき、それは相手が受けるイメージは「Cheap(安っぽい、ちんけな)」であったり、「Shabby(みすぼらしい)」であったりしてしまいます。つまり、安いのにも、理由がいるのです。つまりリーズナブルである必要があるのです。

 お客さんは、「安い」というだけで買うわけではありません。最近、日本では特に食品関連の業界において「産地偽装」がいろいろなところで摘発されています。裏を返せば、このことは消費者が「国産」「○○産」であれば価格は高くても買い、「中国産」や「産地不明」の場合には安くても買わない、ということを示しています。つまり、理由があれば高く買い、安くてもその安い理由が気に入らなければ買わなかったり、「安い理由が分からない」場合にも買わなかったりするのです。

 ビジネス・スタートアップで、新規に顧客を得ていくためには、できるだけ早く目先の顧客を獲得するということも必要になるのですが、それ以上にリーゾナブルに価値を提供し、継続的に利益を得ていくことが非常に重要です。顧客が獲得できたとしても、「安い」ため、いつになっても利益が出ない(悪い場合には赤字)になるようなビジネスであっては、ビジネスをスタートさせる意味がないのです。

 顧客にとって、価格が「安い」ということは、メリットの一つでしかありません。しかし、もっとも分かりやすい指標であるため、提供者側としては、どうしてもそれを「いじって(manipulate)」アピールしたくなるものなのですが、先に説明したとおり、価格は常に「リーゾナブル(reasonable)」でなければならないので、そこを操作するのは、すべての理由が整ってからにしなければなりません。理由もなくあれこれと操作するようなことはしてはならないのです。

 自分が提供しようとしている商品・サービスが、顧客にどんなメリットをアピールしても「とにかく安くないと売れない」としたら、その業界は相当な過当競争に入っているので、これからビジネスをスタートする起業家が新規に参入すべき事業ではありません。すでにその業界で生計をたてているとしても、本当にそのような過当競争に入っているのであれば、起業家の判断で、その業界ではなくもっと収益性の高い事業を探したほうがよいでしょう。利幅を減らすことでしか、成立しないようなビジネスは、近い将来に危機に陥ってしまいます。

 「買い手に値段を比較されてしまう」というのは、定量的に比較しやすい「モノ」を近くで売っている場合です。隣会った商店で、「仕様が全く同じモノ」が「違う価格」で売っていたとしたら、当然安い価格で売っているほうから購入することになります。最近はインターネットが普及しているため、物理的に離れたところにある売り手の価格を比較して購入するのも非常に簡単になっているので、日本全国あるいは全世界で同じものを売っている会社の中から最も安いところから購入することがやりやすくなっています。そのため、「仕様が定まってしまっているモノ」では、どのようにあがいても熾烈な価格競争に陥ってしまいます。そのため、単に「モノを売る」ということは、起業家が参入すべき市場ではないことが分かります。

 そのため、これからビジネスをスタートする人は、定量的に簡単に比較しにくいサービスを中心にメリットを必死で考え、提供していくことになります。それでも、既存サービスにすでに参入している人が、「それでも、最近はとにかく安くしないと売れない」という場合があります。しかし、価格競争が激しくなって、「1円」や「1セント」まで下げないと売れないサービスというのはほとんどないわけですので、多くの場合、それを考えようとしていないだけなのです。

 「価格」は定量的で分かりやすい指標です。しかし、ビジネスにおいて、商品やサービス(特にサービス)を売る場合に、顧客が「買いたい、買おう」と思う場合の指標というのは、価格以外のたくさんの要素があります。実際には価格以外の要素のほうが大きく関連します。もし、自分が起業して、顧客に何らかの価値を提供するのに、価格という価値でしかものが考えられないのであれば、それはその人が愚人(Stupid Person)だからです。自分がそういう人物である場合には、たいていの場合、うまくいかないので、起業はしないほうがよいのです。

 アメリカの起業家教育では、最初の段階で

「ビジネスアイデアの確認」
「エレベーターピッチのトレーニング」
「フィージビリティ(実行可能性)の確認」

というようなことを行うのですが、その後、実際にビジネスを始めたとき、「本当に最初にお金を払ってくれた顧客」が非常に重要になります。

 なぜなら、ビジネスのスタートアップでは、いくら事前に綿密な計画を立てようとも、顧客が獲得できたとき、「本当にお金を払ってくれる顧客」が事前に想定していたような対象と違うということが多いからです。そして、「最初にお金を払ってくれた顧客」がその後のビジネスの方向性に大きく影響力を及ぼすことになるからです。ビジネスは常に「お金を払ってくれる顧客」がいる方向に向かって進みます。

 「起業したい」という情熱に燃えて、「自分のやりたいこと」を中心に計画を考えて、起業したとき、「自分のやりたいこと」「顧客のやってほしいこと」と合致しないことが多くなります。そういった場合、「自分のやりたいこと」がうまくいく前提の計画は、全く収益性の高いビジネスではないので全く役に立ちません。逆に、収益性の高い「顧客のやってほしいこと」は事前に計画していたものでは全くないので、常に顧客の要望に向けて「計画もなく」進展していくこといなります。

 ビジネスのスタートアップの準備段階で、エレベーターピッチに含む文言に絶対に「安い」という言葉をいれてはいけないのは、この「最初にお金を払ってくれる顧客」に非常に大きく影響するからです。顧客があなたの商品・サービスを単に「安い」という理由だけで購入を決定したとき、その基準は将来変わることはなく、あなたが「安い」ことを求め続けるからです。

 顧客によっては、スタートアップ直後であることの足元を見て「最初に安くしてくれたら、今後もなにかあるかもしれないから」ということを交渉の材料にすることもあるかもしれませんが、ほとんどの場合、それは安くするための方便です。(仮の念書のようなものを書くことを求めても、絶対にサインすることはないでしょう。)

 最初に獲得した顧客が「安い客」で、自分自身は「安い人」として奉仕してしまうと、その後もずっと収益性の低いビジネスを回さなければならなくなりがちです。その状態が継続してしまうと、ビジネスの進展性が極めて低くなってしまうのです。

 そのため、ビジネスを始める前の段階で、「理想的な顧客像」というのを明確にしておくことがきわめて大事なことになります。特に、ビジネスをスタートする前に立てた計画の「自分のやりたいこと」とは違う「顧客のやってほしいこと」が提示された場合が、特に重要です。なぜなら、ビジネスでは「顧客がやってほしいこと」のほうが、圧倒的に将来性が高いものだからです。もし「良い顧客」から「やってほしいこと」が提示された場合には、そのビジネスをどのように進めるかの計画をしっかり立てていくことが自分のビジネスを発展させる大きなチャンスとなります。逆に「安い客」はいくら売上がほしくても「請けない」という選択もする必要があるのです。

 ビジネスのスタートアップでは、「最初の顧客」が極めて重要です。それでは、ビジネスをスタートした直後に獲得したい「理想的な顧客」とはどのような顧客なのでしょうか?具体的な属性としては、実際にはじめるビジネスにもよるので様々ですが、大枠においては次のような顧客といえるでしょう。理想的な顧客とは、

「ありがとう」と言いながら(こちらに感謝したり喜んだりしながら)、利益のでる金額を何度も支払ってくれる顧客

といえるでしょう。このような顧客を、継続的に獲得していくことができれば、ビジネスは常に維持、拡大していくことができます。

 もちろん、このような「理想的な顧客」を継続的にたくさん獲得していくのは簡単なことではありません。しかし、起業家は、こういう「理想的な顧客」を獲得していくための努力を常に行っていく必要があります。ビジネス・スタートアップの段階から、「顧客は安くないと買ってくれない」と決めてしまい、短期的な金銭を求める起業家というのは、こういう「理想的な顧客」を獲得するための努力を怠っている、ということになります。

 アメリカでは、ある仕事を「外注」することを「アウトソース(outsource)」といいますが、日本語においては、「外注の業者」はたいていの場合には、「下請け」の業者として扱われることになります。特に発注元の企業が誰もが知っている大企業であって、その発注金額が非常に大きい場合には、その傾向が強くなり、「元請け」に対する「下請け」が従属的な関係を強いられることが多くなります。

 本来的には、「外注の業者」というのは、提供している商品・サービスに対して適正な対価を受け取っている限りは、対等な関係であるべきなのですが、世の東西を問わず「お金を出している側」の立場が強くなりがちで、特に封建的な歴史や、言語構造になっている日本ではその構造が顕著になります。

 自分でビジネスをする場合であっても、誰かに雇用者として雇われる場合であったとしても、「お金を提供する側」に対して、従順で従属的な態度をとることで金銭的な対価を得ていくということは、実は案外簡単にできることです。しかし、そういった関係でのビジネスは安定的な関係とはなりにくいものです。

 そのため、ビジネスのスタートアップとして、最初から目指すことは「理想的な顧客」である

「ありがとう」と言いながら(こちらに感謝したり喜んだりしながら)、利益のでる金額を何度も支払ってくれる顧客

を常に獲得していけるように、自分の商品・サービスがその状態まで高めていくことになります。

 理想の顧客とは、

「ありがとう」と言いながら(こちらに感謝したり喜んだりしながら)、利益のでる金額を何度も支払ってくれる顧客

なのですが、現実の世界では当然そのような顧客はそれほど多くありません。実際には、レベルの低いクレームをつけてきたり、価格を値切ってきたりする「いやな顧客」のほうが圧倒的に多く、理想的な顧客だけを相手にビジネスをするというのは難しい話です。

 このような、「理想的でない顧客」は絶対になくすことはできないですが、それでもビジネスを軌道に乗せるためには、「理想的な顧客」を増やしていく努力をしていかなければなりません。起業または新規事業に参入し、その不安定さを解消していくためには、さまざまなタイプの顧客から発注が受けられるように志向していくほうが、その後の環境の変化には対応しやすくなります。

 ビジネスのスタートアップに成功し、商品・サービスの質を向上させ、顧客の数が増えてくると、一般的には「理想的な顧客」の数も少しずつ増えてきます。「理想的な顧客」が増えてくれば、「理想的でない」顧客や「いやな顧客」への対応を意図的に改善したり、切り捨てたりしながら、ビジネスを存在させていくこともできるようになります。

 たとえば、飲食店を行っていて、顧客から評判になった場合には、「完全予約制」や既存顧客からの招待制による「一見さんお断り」のような形をとることができるようになったりする例がそれにあたります。

 ビジネスのスタートアップでは、「顧客がいること」が必要なのですが、その顧客がきわめて少数の場合には、実際にビジネスをスタートさせることはできても、その後、顧客が増えない場合には、その存続を少数の発注元に依存せざるを得ませんので、顧客が「理想的でない」場合や「いやな客」の場合でも、その状態を甘んじて受け入れていかなくてはならなくなります。

 日本では特に、大企業や役所を辞め、「もとの勤務先から仕事をもらう」ことを前提にビジネスを始めることも多いですので、そういった場合、そのリスクを認識しておかなければなりません。

 「少数の顧客から大きめの仕事を請けながら回していくビジネス」

というのは、根本的な構造として、発注側と受注側が対等な関係になりにくく、発注している顧客にきわめて強い依存関係になりやすいのです。ビジネスの環境は日々どんどんと変わるものですので、その中で、大手の顧客に依存するようなビジネスは、発注元が急に態度を変える、というようなことも多いため、非常に大きなリスクを抱えることになります。

 最近、日本でよく見かける例としては、官公需に依存した建設業を行っている企業などにおいて、きわめて危機的な状況に陥っている事例を多く見かけるようになっています。「大きな金額を発注してもらえる」というメリットがある場合でも、それがために「顧客数が少なくなる」ということはリスクであることをしておく必要はあるのです。

 起業したての会社や、スモールビジネスを営んでいる会社が獲得したい顧客として、「大企業」や「官公庁」といったところを想定する場合があります。しかし、そのような顧客を獲得するということにも、実は多くのデメリットがあります。何度も言うとおり、理想の顧客とは、

「ありがとう」と言いながら(こちらに感謝したり喜んだりしながら)、利益のでる金額を何度も支払ってくれる顧客

なのですが、多くの場合、大企業や官公庁は、感情がきわめて希薄で、無機質な行動をとるからです。

 ビジネス・スタートアップにおいては、あなたから「買いたいと思って、買うと決める」顧客さえいればビジネスは開始でき、その点においてスモールビジネスのコンサルタントなどがよく口にするUSP(Unique Selling Proposition)は必須ではない、ということを説明はしましたが、大企業や官公庁を相手にする場合には、これが必須になります。なぜなら、大企業や官公庁では、「買いたいと思う人」と、最終的に「買うと決める人」が違う人間であることが多いからです。

 個人が購入を決定する場合には、「買いたいと思う人」と「買うと決める人」が一致しているので、それほど論理的・合理的な理由はなくとも、「買う」という直接のアクションにつながることも多いのですが、大企業や官公庁の場合にはそうはなりません。ある部門の担当者が、「この製品・サービスがぜひほしい」という感情になったとしても、その商品を購入するために、上司や経理部門などからの承認が必要になるからです。最終的に「買う」という判断をするための説得には、合理的な理由が必要なのです。

 大企業や官公庁(特に官公庁)では、大きな金額の購買の場合、通常は見積もりを2社以上から取り、比較検討したうえで「有利な条件を提示したほう」からの購入を決定します。そして、ほとんどの場合、それを決定するためのほぼ唯一の条件(Unique Selling Proposition)は「価格」です。そのため、無機質な価格競争に巻き込まれやすくなります。

 大企業・官公庁や、中小企業・個人のどちらにも対応ができるような商品サービスを提供している場合、同じ金額で大企業や官公庁に見積もりを出してしまうと損をしてしまいます。なぜなら、「買いたい」から「買う」という決断をするまでの、合理的な理由を説明するまでに非常に多くのドキュメントの作成や、営業活動をする必要が出てくるからです。

 また、大企業や官公庁の場合には、基本的に代金の支払いが後払い方式となるため、資金繰りを考えなければならないスタートアップ直後には、確実に発注があるかもわからない段階から、相当な負担を強いられることになるからです。

 大企業や・官公庁は、多くの場合には、感情のない極めて無機質で不安定な顧客となりやすいものです。起業の対象顧客としての顧客ターゲットをそこに絞ったスタートアップというのは、大きなリスクを負うということは、知っておくべき事柄となります。

 実際に事業をやったことがある人、実際に顧客と対応をしたことがある人(営業職など)はそうでもありませんが、これから「起業したい」と考えている人、特に大企業や役所で、定期的にサラリーをもらいながら仕事を行ってきた人が、起業熱にうなされている場合、その計画の過程では、極めて「自分にとって虫のよいこと」を考えやすい傾向にあるようです。

 顧客は普通、簡単にはお金は払ってくれないものですが、これまで「自動的に」お金を払ってもらえていた人は、その感覚が全くないまま、「起業する!! 」という情熱に突き進み、そして全く顧客からお金を払ってもらえずに終わってしまう、ということが起こってしまいます。

 顧客は、あなたが「長時間働いているから」でも、「面白いことをやっているから」でもなく、「顧客に何らかの価値を提供しているから」その対価としてお金を払ってくれるのです。しかし、これまで何らかの形でお金を「自動的に」「受け取れる理由を考えずに」受け取ってしまっていると、その「なぜ顧客がお金を自分に払うのか?」ということに関しての嗅覚が極めて鈍くなります。

 ビジネスとは「顧客がいること」が成立のための絶対条件で、「顧客がいなくなることで」成立しなくなります。顧客は「自分の提供している価値を認め、お金を出す」という行為を行うのですが、この「お金を出す」というタイミングで、多くの人が、急に態度が豹変したり、嫌な人になったりして、感情が大きく動いてしまうものです。この部分が「機械的」「自動的」というようなことは、ほとんどありえないのです。

 そのあたりの感覚がずれてしまっていると、極めて実効性の低い計画でビジネスをスタートさせようとし、ビジネスにもならないまま終わるということも多くあります。こういったことは、日本人に限らずアメリカ人でも非常に多いことのようです。だからこそ、何度も説明されるように、アメリカの起業家教育においては、その最初の段階で、

・ はじめようとするビジネスのアイデアは何なのか?
・ それについて適切に分かりやすく説明ができるのか?エレベーターピッチはあるか?
・ 本当に実現可能なものなのか?(フィージビリティの確認)

ということを、徹底的に確認する作業をしていくことになります。

 顧客は、「何の理由もなくお金を払う」ということは絶対にありませんし、「1度買ってくれたから」といって、繰り返し買ってくれるというものでもありません。しかし、事業を始める前には、そういった「虫のよい考え」で突き進んでしまいがちなのです。

 アメリカの実践的な起業家研修プログラムにおいては、そのアイデアの不完全な部分を参加者全員でインタラクティブに確認していく作業を行っていくことになります。

 顧客は、極めて「お金を払う」という行為についてはシビアです。

 起業前には、多くの人が自分にとって「虫のよいこと」を考えてしまいがちなのですが、これは新規顧客に関しての前提が「楽観的すぎる」ことも原因としてあります。

 あなたは、「全く初対面の何かの“営業活動を行っている”他人」が自分に近づいてきたとき、どのような感情を抱くでしょうか?

 多くの人は、「怪しい」「ウザイ」「来るな」というようなネガティブな感情を強く抱くはずです。つまり、最者の段階では顧客は懐疑的(Skeptical)で、マイナスな感情を持った状態であるという前提でなければならないのです。

 この傾向は、アメリカ人より日本人(特に都会在住)に非常に顕著になります。日本人は、同じ日本人同士であったとしても、何らかの「よそもの」に対して、懐疑心の強い冷淡な態度をとる人の割合がアメリカ人よりも多くなります。そのため、「上司や初対面の人に対してエレベーターの中で親しく話す」ということが前提で行われる「エレベーターピッチ」というのも全く行われないのです。

 アメリカで何らかのビジネスコミュニケーション関連の研修などを受けた人であれば、「エレベーターピッチ」という言葉くらいはほとんどの人が知っていて、日本人でも知っている人の数としても案外多いはずなのですが、日本人向けの研修にあまり積極的に取り入れる機運が生まれないのは、日本人のコミュニケーションが、初対面の人に対して「極めて懐疑的」に行われることも理由として挙げられるでしょう。

 全くの「初対面の他人」に対してのコミュニケーションの障害が日本と比較すると少ないアメリカにおいてさえ、「“営業活動を行っている”初対面の他人」、に対しては、極めて「懐疑的(Skeptical)な態度をとられる」ところから、起業家は活動を始めていかなければならないのです。

 その意味で、起業家にとっての「エレベーターピッチ」とは、「“営業活動を行っている”初対面の他人」の中の“営業を行っている”という部分、「人々に極めて感情にネガティブに働きかける」要素を取り除くための技術でもあります。

 多く人が「初対面の他人」から営業されることに対してネガティブな感情を抱いてしまうのは、「自分が全くほしいとも思っていないにも関わらず営業をしてくる」、からです。営業されている人から見ると、自分は適切なターゲットでもないのに、時間や労力、時にはお金も使わされることになるから、営業をされることが嫌いなのです。

 通常、エレベーターピッチでは、「こういう人たちに向けて(Why You?)」の部分を含めることを推奨していますから、それを聞いた「対象でない人」たちは、自分が対象でないことを理解して、「面白いね。(Interesting!!)」などと答えて、一般的なコミュニケーションとして、話を続けていけることになります。

 ただし、日本人は「営業活動を行っているわけでもない初対面の他人」に対しても、懐疑的な態度をとりやすい傾向がありますから、その意味で、起業家のためのビジネス・スタートアップの環境はより厳しいといってもよいでしょう。

 多くのマーケティングの教科書や本においては、顧客は

「見込み客」
「購入顧客」
「リピーター」
「固定客」「信者客」

というように発展するような記述がなされています。顧客の状態がこのように進化していくためには「顧客からの信用の積み上げ」が必要になります。

 しかし、ビジネス・スタートアップ直後の起業家の場合、「見込み客(Perspective)」からのスタートではなく、さらに信用が低い状態である「懐疑客(Skeptical)」からのスタートになります。

 MBA (Master of Business Administration)の教科書などは、その名の通り「経営管理」の学問ですから、どちらかといえば、「すでにビジネスがすでに回っている大企業」などを対象にしています。そのため、その会社に対して認知度がすでにあったりして、懐疑的な態度をとる人が少ないのです。起業をして全く顧客のいない状態から始める場合には、懐疑的な人々の心理的な警戒心を外しながら、 見込み客を獲得していくことになります。

 新規にビジネスを始める起業家は、既存企業と比べればマイナスなところからスタートしなければならないわけですが、多くの場合、これはそれほど大きなハンディキャップとはなりません。なぜなら、「懐疑客」と「見込み客」は、どちらともまだ購入していない顧客であって、心理的な違いでしかないので、適切な説明がなされれば、状態が変わりやすいからです。

 「認知度がない」「小規模である」というような理由で、顧客が獲得できないのは、多くの場合、既存企業や大手企業などの「他の企業と同じかそれ以下のこと」を何も考えずに行おうとしているからです。顧客の心理的な信用度に差がある状態で、既存の他者と同じことを行ってしまうと、当然最初から信用のあるところから購入することになります。

 起業家が提供する商品・サービスを顧客が「ほしい」「必要」と考えているとき、適切なタイミングで現れ、懐疑的な顧客に対しての懐疑的な気持ちを取り除く方法(信用を上げるための説明)を考えておくことで、既存企業よりも小回りが効きやすいスタートアップ企業では、むしろ付加価値の高いサービスを提供することもできることが多くなります。

 知名度が低い場合の「懐疑心」を取り除く方法としては、これまで説明してきた、「エレベーターピッチ」もそのための強力な道具の一つとなります。また、すでに信用を得ている人などからの紹介(著名人、マスコミなど)、既存客からの口コミなどがあります。最近では、ネットでの口コミサイトなども増えていますので、そういったサイトで自分の信用を獲得してから、顧客を獲得していく方法なども本格化しています。

 新規に起業する人は、最初の状態がきわめて「信用の低い状態」でスタートしていることを認識して、それに対応した適切な活動が必要となるのです。

 ビジネスをスタートした直後の起業家に対して、多くの人は「懐疑的(Skeptical)」な態度をとり、既存の他者と同様な営業活動を行っていたのでは、顧客を獲得することはできません。一方、ビジネスをスタートした直後の起業家は、ほとんどの場合には「ヒト、カネ、モノ」などすべてのリソースが不足しており、その状態から効率的に顧客を獲得していくことによってビジネスを軌道に乗せていく必要があります。

 初期の段階で顧客が少ない状態では、どうしても短期的な「顧客を獲得したい」「利益を確保したい」という思いが働くため、

「見込み客を集めるため、なりふり構わない手段で営業をかける」
「たまたま問い合わせをしてきた客に対してしつこく営業する」

などといった行動をとりがちです。しかし、できることならそういったことは避けるべき手段です。

 なぜなら、「信用が低い状態」での「なりふり構わない手段」や「しつこい営業」は、もともと懐疑的な顧客が多い段階では、「信用のマイナス」を拡大しやすいからです。

 先に議論したとおり、ビジネスをする上での理想的な顧客とは、

 「ありがとう」と言いながら(こちらに感謝したり喜んだりしながら)、利益のでる金額を何度も支払ってくれる顧客=(固定客・信者客)

ですが、「なりふり構わない手段」や「しつこい営業」で顧客が獲得できたとしても、こういった理想的な顧客にはなりにくいものです。ビジネスとは、信用を積み重ねながら、正当な対価を交換することで成立するものですが、最初の段階から信用度の低い行為を行うと、それ以後の信用の積み重ねが非常に困難になってしまうことになります。顧客が固定客へと発展せず、信用度の低い顧客を常に集めなければならない場合、ビジネスとしては安定的に成立しにくくなります。

 また、顧客が少なく、利益が出ていない初期の段階で、しつこく営業をするなどしてしまうと、こちらの苦しい状態の足元を見られるような形で、従属的な関係を強いられることがあります。先に議論したとおり、最初の段階で少数の顧客との従属的な関係が成立してしまうと、後にその関係を改善していくのは非常に難しくなってしまいます。これも、ビジネスを行う上でのリスクとなってしまいます。

 長期的に安定したビジネスを展開するためには、きわめて「懐疑的」にみられる段階から、最終的に「固定客」になってもらえるような方法を、「最初から」考えて、実行していく必要があります。ビジネス・スタートアップに成功するためには、顧客が絶対に必要ですが、本質的な部分では、効率的な「信用の蓄積」を最優先させていくというのが、きわめて重要になります。






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